理事長より
名倉の歴史と当院について
東京本郷の東京大学の総合図書館の鴎外文庫に行きますと森鴎外が自筆で書いた名倉家の系図が保管されています。鴎外の調べによれば名倉家は桓武天皇の後裔になる秩父氏の分家として、現在の小鹿野町に居を定めた奈倉氏がその祖とされています。
鴎外はこれ以外に新聞小説『渋江抽斎』で業祖である名倉弥次兵衛直賢(1750年〜1828年)を「当時流行した接骨家元大坂町の名倉弥次兵衛」と登場させ、作中で「研ぎ上ぐる刃物ならねどうちし身の名倉のいしにかゝらぬぞなき」と狂歌に詠っています。
鴎外だけではなく、名倉は夏目漱石の小説にも登場します。小説『道草』では「驚ろいた養父母はすぐ彼を千住の名倉へ伴れて行って出来るだけの治療を加えた」と描写されています。又、『漱石研究年表』によれば、漱石は1871年(明治4年)に骨折し名倉整骨院で治療を受けているそうで患者さんだったようです。
最近では司馬遼太郎の小説『胡蝶の夢』に陸軍軍医総監となる石黒忠悳が青年時代に江戸の麹町で開業していた名倉弥五郎に入門を申し込んだところ、西洋医学を勧められたという逸話が書かれています。入門と言えば浮世絵で有名な葛飾北斎は、1806年(文化3年)頃、名倉弥次兵衛に入門し、人体を描くために人体の骨格の勉強をしていたそうです。
その後、名倉弥五郎の予見通り「骨接ぎ名倉」も医療に関する教育改革及び国家資格の制定により近代医学、西洋医学の時代を迎えます。当院の初代理事長である名倉公雄(1930年〜2015年)は1955年にドイツのケルン大学医学部に留学しドイツの医師免許及び医学博士号を取得しました。名倉公雄は業祖である名倉弥次兵衛直賢から数え七代目にあたり、現在の院長を務める医学博士名倉武雄は八代目となります。
当院は1972年(昭和47年)に開設され、おかげさまで開設以来延べ人数で百万人以上の患者様にご来院頂いております。
時は流れ名倉の歴史も色褪せつつありますが、この古き良き町日本橋で名倉の歴史を受け継ぎ,伝統の医療と最新の知識・設備に基づいた診療を続けて参りたいと存じます。
医療法人社団 公和会 理事長 名倉英雄
診療内容
- 腰痛、肩こり、関節痛ほか
- 外傷一般
(骨折、打撲、ねんざ、むちうち、など) - スポーツ外傷・障害
- 関節リウマチ、骨粗しょう症など